ありがとうを言うのは簡単だが、言われるためには動かないといけない

「ありがとうございます。」
とても素敵な言葉だと思います。

これは心が綺麗な人でないと使えない。
心が汚れている人は、なにかしてもらっても有難さに気づかないし、「ふん!」とばかりにしてもらって当たり前と考えてしまいます。なにかして頂いたこと、それに対して感謝の気持ちを持ち伝えるのは、その行為に気づける感性を持っているからです。見返りを求めているわけではありませんが、なにか行動して

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

と言い合えると、お互いに気持ちよくなれますね。

生きている限り、多くの人と関わりを持たなくてはなりません。家族はもちろんのこと、職場や学校の人たち、街に買い物にいけばお店の人とも触れ合うこともあります。そうした一瞬で気遣いをしたりされたりできると、温かい気持ちをたくさん交換できるようになります。

ありがとうは「与える」気持ちから始まる

最近では幸いなことに、ありがとうと言われる機会が増えてきました。

仕事柄他人のお世話をしていることもあるし、パソコンでプログラムの知識があり特殊なことを手伝えるのも影響しているのでしょう。こう書くと、人のお役に立つにはスキルがないとできないと考えてしまうかもしれませんが、大事なものは「なにかしてあげられることはないかな」という気持ちだと思います。

先ほどパソコンがある程度扱えると言いましたが、すると色々なことを聞かれます。
「ねぇ、エクセルのことを聞きたいんだけどいい?」
(僕、エクセル苦手なんだけどな・・・)
なんて場面もよく出てくることになります(パソコンが苦手な人にとって、エクセルもプログラムも見分けがつかない)。

わからないから他の人に聞いてと一蹴することもできますが、調べたりするとなんとかなることも多い。そうやって周りの人を助けていると、いろんなことを投げかけられ、そのうち自分も自然と磨かれていきます。するとできることが増えていき、周りの人にしてあげられることがさらに増えていくのです。

これを「ありがとうの循環」と呼んでいます。

社会人になったばかりの頃、上司の方に言われたことが残っています。
「若い奴はお金を使わなくてもいい、その代わり気を使え」
いま振り返ると、大事な言葉を教わりました。

もう若い奴にお金を使ってあげる年ですけどね^^

気を使うとは、自分から動くこと

気を使うとは、周りの人の様子も伺うことです。

例えばご飯を食べに行ったときにメニューをさっと差し出したり、グラスが空いていたら尋ねたりすることも気遣い。もちろん動いてみた結果、喜んでもらえることもあるし、タイミングや要求が違って気まずい空気が流れることもあります。

ありがとうと言われるには、なにかしてあげないといけません。
空気を感じ考え行動し喜んでもらえたら、御礼をいただけます。これは動いて経験して、体でつかまないといけない感覚かもしれません。失敗を恐れてなにも動かなければ何も起こらない。すべては行動の結果です。

ありがとうを言うこと。
ありがとうを言われること。
どちらも必要で、そのバランスをとれてこそ人生は豊かになっていくように思えます。

ありがとうを言うことが多い人は、周りの人に何かしてもらっていることが多い。それは図らずも受け身の姿勢を表していて、場合によっては周囲の人や環境が変わると、辛い状況に陥る可能性も秘めています。個人的にはとても怖いことだし、そんな環境でも周りに働きかけることができれば、状況を好転させることもできるようになります。

内側から溢れ出る感情を整え、大事にする

とはいえ、注意しなければならない点があります。
それは自己犠牲にならないこと。

「自分さえ我慢していれば」とか「自分が無理すれば」と心に負荷をかけていると、どこかで反動が出てしまいます。どっと疲れてしまったり、続けることがイヤになったり、「俺がしてやってる」と傲慢さが滲み出てしまうこともあります。

あくまで自分がやりたいからと、自然な心を持って一瞬一瞬に臨みたいもの。

そのためには、自分を良い状態に保つことが大切となります。
良い状態とは、気分がよくいられること。
つまり、ご機嫌をとることです。

例えば仕事が忙しくなり、一息をつく時間もない。そんな風になると、自分自身を大切にすることさえ後回しになってしまいます。心が乱れている時にはなにかサインが現れます。食事が乱れること、部屋が乱れること、生活リズムが乱れること、よく眠れない、起きるのが辛い、お金の使い方が激しくなる‥‥エトセトラ

自分自身を観察し、良くない状態にはどんな傾向が現れるのか把握し、乱れてきたら整えるように意識して行きます。心を込めて作られたお食事をいただいたり、居心地の良い空間に身を置いていたり、お部屋を掃除したりしたしていくと、良くない状態に陥りづらくなります。

神様に祈りを捧げるように、目の前の人を見つめる

「目の前の人になにかしてあげたい」
そんな気持ちを持っていても、思ったような反応が返ってこない時があります。物を拾ってあげても、なにも言わずにプイッと去ってしまう人だっています。それに左右されていてはご機嫌ではいられません。

そのためには目の前の出来事に左右されないことです。相手が喜んでくれようと喜んでくれまいと、自分がやりたいと思ったからやった。それだけのこと。

「自分」⇄「相手」という対の関係だとどうしても見返りを求めてしまいます。
しかし「自分」⇄「神様」⇄「相手」というように三者間をイメージし、神様に祈りを捧げるようなイメージで物事を行なっていると、相手がどのような対応をしていても気にならなくなってきます。目の前の相手にやるべきことをやろうと意識が芽生え、それを神様がみていてくださるといった感じです。

これは神様を信じない人であれば、神様でなくてもいい。
自分自身でもいいし、自分が尊敬している人でもよく、その人が同じ立場ならどうするだろうと想像しながら、行いを見つめ直していきます。そうしてやるべきことをしていれば、巡り巡って自分に良いことが返ってくるのだろうと思っています。

返ってくる形は様々で、お金のこともあるし、良い人とのご縁もあるし、学びや気づきをいただくこともあります。どんな形であれ、ありがとうの循環が働き始めると、運が良いとしか思えないような人生になっていきます。結果を気にすると、ありがとうの循環が働かないので、ただ信じて待つのが大事です。

目の前の人になにかできることはないか、と心がけてみてはいかがでしょうか?

それでは、今日はこの辺で。
ありがとうございました!

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