サティアに生きる!フリーランスという生き方

サティアとは、ウソをつかないこと

ヨガの哲学には、「正直(サティア:satya)」という教えがあります。
正直とは、ウソをつかないこと。

ウソをついてしまうと、人からの信用を失ってしまいます。なので、ウソをつかない方がいいよということですね。それに加えて、自分にもウソをつかないということが大事ではないでしょうか。

自分のことは、誰よりも自分がよくわかっています。ウソをついた時の罪悪感も、人を傷つけた時の苦しみも。他人に対してはうまく言いつくろうことで逃れることもできますが、自分に対しては、ウソをついていることも言い訳していることも、すべてお見通しです。「お前らのやった事は、全部全てスリッとまるっとお見通しだ!」みたいな感じで。

フリーランスという生き方は必然だった

僕個人の話しですが、数ヶ月前にフリーランスとして活動するようになりました。前から個人で活動していけるようになりたいと思っていましたが、いざフリーランスになってみると、この生き方は必然だったように思います。会社のなかで生きていれば、毎月安定した給与ももらえるので安定しますし、福利厚生や様々な保障も受けられます。退職金も出ますしね。

その代わり会社の方針や上司の職務命令には従わなければなりません。会社員では自分の気持ちとは裏腹の言葉や仕事をしなければならない場面にたくさん遭遇します。「それが社会」と言ってしまえばそれまでですが、それを受け入れられるかどうかは、人それぞれ。

多くの人は「仕方のないこと」と受け入れているのだと思います。
それを責めているわけではありません。生きていくためには環境を受け入れることも必要な能力。ですが、なかには受け入れることができない人もいるのです。

現状に納得することができないから、抗っているだけ

僕も表面的には受け入れることができていましたが、やはり心の底では納得することができませんでした。他のフリーランスの方はどうかはわかりませんが、会社の仕組みに迎合することができなくて、外に飛び出してしまう方は多いのではないでしょうか。

フリーランスという生き方は、簡単なものではありません。安定しない経済状況に苦しんだり、取引先との関係に悩んだり、煩雑な事務作業や経費計算をしなければならなかったりと会社員から見ると、多くの苦労が伴います。

それでも僕がフリーランスで活動するのは、納得することができないから。いまの自分に、いまの状況に納得することができないから、なんとかしようとして動き出すのです。それは夢や希望といった生易しいものではなく、悔しさ、怒りに近いかもしれません。

サティア、正直というヨガの教え。

僕はヨガを通じて、自分のことをもっと知りたいと思っているのです。
より自分らしく在りたいと。

それを実現するためには、自分との闘いに妥協することなく立ち向かい続けなければなりません。それと同時に、そんなことに気づかせてくれるヨガの偉大さに、惹きつけられてやまないのです。