ヨガとは心の自由である

「まだ見たことのない世界を知る」

普段はwebの仕事をしながら、ヨガをやっている。さらに言えば、登山も。これらは僕の人生の中で、かけがえのないものになりつつある。こんなバラバラなものに対して、なぜ魅力を感じるのだろうと考えてしまった。

1.webは秒進分歩の世界

webは進化のスピードが速い。昨日斬新だとされていたものが明日になれば古いものになるなんてことはざらとは言わないがある。webに従事するものは常に勉強を強いられるため、非常に大変だ。まるで他人事のように言っているけど。

2.「世界にはこんなところがあるんだ」と再確認する登山

普段ではこんな景色には出会えない!と思えるような光景を見ることができる。東京に比べれば、北海道はまだ恵まれているが、札幌では星空を見上げても数えるほどの星が見えるだけだ。山の上に登ると、漫画で描かれているような星空を目の当たりにすることもできる。

3.ヨガは自分自身を解剖するツール

からだの動きを知ったり、心の働きを観察したり、ヨガとは自分を知るためのツールであると気づく。僕が自分自身の最大の理解者であろうとすることは大切だと思う。自分がしてもらって嬉しいことや苦しいことをわかっていれば、他人にもしてあげることはできるからだ。

4.すべてはつながっているという感覚

これだけ別々のことを行っておきながら、僕の中ではすべてつながっていると感じる。ヨガをやることで登山にプラスになることはあるはずだし、ヨガで気づいた考えをwebに活かすこともできるはずだと思っている。

5.仕事とプライベートは分けることができない

仕事とプライベートは別の時間と分ける人がいるけれども、あの感覚は僕には理解できない。仕事であろうと、プライベートであろうと、僕にとっては僕の時間で、なにをするための時間かを自分で区切っているだけに過ぎない。だから僕にとって時間とは、24時間いつでも変わることはない。

6.この世には修行に来ているという言葉が離れない

この世に生まれてくるのは、修行に来ているからだと幼い頃に聞かされたが、その言葉がずっと頭から離れない。頭で理解するような次元ではなくて、すっと心から受け入れられる感覚がある。だから大切ななにかがきっとあって、それを知るために僕らは迷い苦しみながらも、日々頑張って生きることが求められているのだと思う。

知らないものを知るために生まれてきた

webを通じて、世界のことをもっと知ることができる。登山を通じて、世の中にはまだ見たことのない光景が観れる。ヨガを通じて、精神的に知らない世界がまだまだたくさんある。

これだけ別々のことをしながらも、僕は「 まだ見たことのない世界を知る」ことを追求していただけに過ぎなかった。それぞれに求めていることは微妙に違うけれど、根本的には変わらない。

僕の中にある意味に気づくことが大事で、それに気づいた時に心は今までの常識から解放される。物事を知るほど常識にとらわれるのではなく、物事を知るほど心が自由になっていいはずだ。

知らないことを知ること、それは心の自由につながる。