最近、人との関わり合いをよく考えます。半年ほど前から、コミュニケーションが苦手な人たちと関わるようになり、なおさらのこと。
コミュニケーションが苦手だからといって、悪い人かといえば、決してそうではありません。むしろ真面目な人のほうが多いかも。真面目だからが故に、人を傷つけるのを恐れ、自分の気持ちを我慢してしまい、心を壊してしまうのかもしれません。
学校にいけば、勉強を教えてもらえます。教室に通えば、なにかスキルを身につけることもできます。しかし、人間関係の築き方は学ぶことができず、親との関係をもとに、良くも悪くも経験を積んでいくことになります。
世の中には情報があふれ、他人とつながるツールもたくさんあります。その一方で、これからの時代はどんな関係を築いていくかがより問われるようになるのではないでしょうか。
コミュニケーションには「数」と「質」がある
人間関係を語ると、必ずと言っていいほど上がる言葉があります。「俺は友達が多いから、大丈夫」「友達が少ないから、僕はダメなんだ」
例えば、facebookに友達が1,000人いるとか、電話帳に何百人のアドレスが入っているとか、彼女(彼氏)が何人いたといった感じ。売上が何千万あげたとか、投稿のいいねが何個ついたなど、数字が大きいことが賞賛される風潮にありますし、多くの関係を持ったのは、凄いこと。それだけ行動してきた証です。ですが、人間関係は人の多さだけで判断できるのかといえば、決してそうではないと思うのです。
目の前の人とじっくりと向き合うこと
人間関係は数字だけではなく、どのように「深く」関わることができるのか、を振り返ったほうがいいと思います。
深く関わるというと、
・その人の悩みを聞いたり、
・その人の相談に乗ったり、
・トラブルを一緒に解決をしたり、
・面倒を見てあげたり、
目の前の人の「負」を引き受けることが多い。
より深い関係を築こうとすると、楽なことだけではありません。むしろ面倒なことや大変なことが降りかかることが増えたかもしれない。
僕も以前は人見知りで、人との距離を置きたがる人間でした。そのほうがトラブルに巻き込まれないことも知っているし、人の良い面だけが見えて、楽でもあるのです。私には関係ない」と突き放すこともできるし、「それはあなたの問題」と区別することもできます。話しを聞いていると、「なんでそんなことで悩んでいるんだろう」と思うこともあったりします。
ただ損得を超え、目の前の人に向き合っていると、いままで見えなかったものが見えてくることがあります。その瞬間に出てくる悩みは、簡単なものもありますが、その奥には、別の気持ちが潜んでいることも多い。認められたい、受け入れてほしい、こちらの愛情を試していたりして、もっと人間の心の奥深い部分、魂の衝動が見え隠れすることもあるのです。
与えたものが返ってくる世界
では、なぜ人と深く関わりあって、生きていかなければならないのでしょうか?
例えば、人と深く関わらなくても、もっと楽にお金を稼ぐことはできます。なぜなら、目の前の人を変えればいいから。友達も付き合うのをやめればいいし、恋人も別れれば傷つかずにすみます。楽に生きるのであれば、深く関わることをしなくてもいい。
そこまで大変な思いをして、なぜ深く関わるのか。人間関係の深さが与えてくれるもの、それは、心の幸福度です。人と深く関わらずに、お金を稼ぐことはできても、心は満たされないから、よりたくさんのお金が欲しくなります。深く関わることを避けるから、利害関係や損得勘定で人付き合いを選んでしまったり、同じようなトラブルが繰り返されてしまいます。
とはいえ、僕も心から分かり合える人は一人か、二人くらいしかいません。多く見積もっても、片手の人数くらい。ただ心から分かり合える人と過ごすのは、あっと言う間に過ぎてしまう特別な時間です。その人のことを知り、その人のことを思い、強さも弱さも自然と受け入れられ、思いが共有できたと味わえるような瞬間。それを積み重ねるほどに、その人の思いや力を感じることができたり、深い感謝をいただいたりして、人生は素敵だなと魂が震えたのを覚えています。
大変を乗り越えて、生まれる絆がある
人と向き合うことは、大変なことです。大変だからこそ、乗り越えた時に絆が生まれます。向き合わずに逃げてしまうから、夫婦でも離婚したり、不倫に走ったりするし、親子で距離が遠くなったり、いがみ合ってしまいます。人と深く関わり合うことによって、「得」はないかもしれません。ただひたすらに、あなたの「人徳」が磨かれるだけです。
あなたと出逢えてよかったと言われた時に、人とのつながりをより密に感じた時に、人生はより深化するのだと思います。言葉の奥に真意を見抜き、表情の奥にある気持ちを察し、良いお導きを信じて、人と向き合っていけますように。