僕は自分のことを意志の弱い人間だと思っています。頑張ろうと思ったことを長く続けられたことはなかなかなくて、札幌メンズヨガ.comのブログ更新も2ヶ月で途絶えてしまいました。
ブログ更新が途絶えたのはやめようと決めたからではなく、自然消滅で行わなくなりました。日常が忙しくなってきたため、ブログにまで手が回らなくなったこと。そしてブログの記事がfacebookで拡散され、「やってきたことは間違いではなかったんだ」と一つの結果が見えてしまい、モチベーションが満たされてしまいました。
そんな状況の中では、新たな目標となるものを探さないといけませんでした。ご覧の通り、ブログの更新は途切れたままなので、新たな目標は見つかっていません。おそらくヨガをそれほど取り組めていないことも影響しているのでしょう。
札幌メンズヨガ.comのことは僕の中でもしこりのように残っていました。「なぜ更新する気になれないのか?」を考えていくと、更新するテーマが見つからないことが挙げられます。ですが、更新するテーマなど本当はいくらでも見つかるのです。要は更新する気がないだけなのです。
では、なぜ更新する気になれないのでしょうか?
その答えは明白でした。いままでやってきたことがすでに魅力的に映らなくなったからです。いままでのものが魅力的ではないということではなく、心境や状況の変化により求めるものが変わったということ。
この場合、僕が取り組むべきことは新しく惹かれるものに飛び込むことになります。けれど、それは言葉ではっきりとわかっていることではなく、「なんとなく」直感で惹かれているだけなのです。いままでに囚われて、新しい世界に飛び込むことができずにいます。
僕は心が現実を表していると思っていて、だから瞑想によって心を磨いていくことを重視していました。アーサナは瞑想のための準備運動と考えていて、それを突き詰めることの意味を持てずにいたのです。
そんな僕の心を捉えて離さないのは、アシュタンガヨガ。
ポーズをとることが、すなわち瞑想していること。
僕はアシュタンガヨガをそんなイメージで捉えていますが、間違っていたらごめんなさい。一度だけアシュタンガヨガを受講したことがあるのですが、講師の方のポーズが美しく見とれてしまったのです。
ポーズが美しいということは、動きに無駄がないということ。
それは自分の動きを認識し必要な力か精査して、無駄を省いていくという経験の積み重ねから生まれてくるものです。そんな積み重ねから生み出される「美」を自分自身追求してみたいと思ってしまいました。
やる気になれないのは、怠惰からくるものと新たな目標を探しているものがあります。その答えは自分の心だけが知っています。新たなことに飛び込むこと、学んだものを習熟させること、その繰り返しによって人生は成長し続けることができるのではないでしょうか。
新たな世界にときめいた心を信じて、飛び込んでみようと思います。