両手を合わせて祈りを捧げると、幸せな気持ちに包まれる

両手を合わせて祈りを捧げると、幸せな気持ちに包まれる

2016年9月28日

最近、幸せです。

なにが?って聞かれると困るのだけれど、幸せなわけです。息を吸い込めば、空気が美味しくて、ご飯を食べれば、お米が美味しくて、布団に入れば、ぐっすりと眠れることができて、ただただ、毎日が愛おしい。お金があれば、恋人がいれば、立派な家があれば、と幸福に条件を求めてしまうものだけれど、無条件に感じる幸福が最上だと思うのです。

人間は本来、幸せな存在である

赤ちゃんを見ていると、みーんな幸せそうな笑顔を与えてくれる。むすっとした赤ちゃんって見たことがないかもしれない。それが大きくなっていくと、眉間にしわを寄せ、文句を言うようになる。勝ち負けを気にしたり、優劣をつけるようになる。

それは生きていくために、居場所を見つけるために、競争に打ち勝つことが、成長に必要なのかもしれない。競争が人類を進化させ、現在のような文明や平和をもたらしてくれた。それを乗り越えたら、競争から共存へ。周りの人に力を分け与え、多くの人を光り輝けるように。

生まれたままの気持ちで日々を送れれば、幸せが満ち溢れるようになれるはず。成長することは、赤ちゃんに戻ることかもしれない。

日常を丁寧に生きること

バタン、ドカン、バタバタ……。最近、音がとても気になるのです。

イラついている時、カッとしている時は物に当たることが多かった。イライラを紛らわせるために、扉を大きな音を立てて閉めたりもした。食事の際にお皿を持ったり置いたりするけど、意識を細部まで及ぼせば、音もたてずにすっと置けるし、意識が及ばなければ、ゴトンと無造作に置かれる。

音には、心が現れるのだと思う。綺麗な音を奏でることが、日常を美しく生きるコツ。

目を閉じて、両手を合わせること

なにかに向かって祈る時、自然と笑みがこぼれる。それは、神様なのかわからないけど。神様がいるかどうかは、わからない。神様なんていないよと言う人もいる。けど、神様はいると信じているのです。

ふと現れる出来事やちょっとした情報に気を配っていると、ある瞬間、すべてがつながることが起きる。あれは、ちょっとした奇跡。すると、神様を信じてみたくなる。見守ってくれていることを。高みへ導いてくれていることを。神様とつながっている時間。なによりも心地よい。

幸せはすでに在る

この先どうなるかなんて、誰にもわからない。やれることをやれるだけやっても、あとは運次第。人間には、結果を左右することはできない。時には、流れに身を委ねてみることも大事。流れに気がつくには、常日頃から自分を整えるようにしてみよう。

部屋を整理整頓し、綺麗に掃除すること。心を込めて食事を作り、味わって食べること。清潔な布団に横になり、感謝して眠ること。ふとした出来事、ちょっとした情報から道が拓けるヒントがやってくるようになる。日常こそすべて。幸せはすでに在る。